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昭和53年5月
当初、千代田区六番町において、財協印刷(株)の遊休機材を現物出資として受け、毎週全国の税務署等に送達する「活版通達」と「国税速報」の印刷の補完と、農林弘済サービス(株)が農水省より受託する予算書および国会想定問答などの印刷を目的として設立。
昭和54年1月
港区新橋5-25-6山本ビル2階に移転し、これを機に設備を一新。
昭和54年2月 (株)ジャパンパブリシティ復活
以前、港区六本木にあった秋山庄太郎の第一スタジオを使い、当社取締役池沢喬が写真家の林忠彦、輿石和朗、他で(株)ジャパンパブリシティを設立、業務は順調に推移したが池沢喬のサンケイ新聞社復帰のため閉鎖していたものを復活した。
場所は、代々木の小鳩くるみ事務所の一室を使い、池沢喬、元テレビ朝日制作局長の中島力、元週刊サンケイ編集長松本暁美の陣容で営業面は当社が担当し、テレビ、新聞、雑誌等の企画広告、講演会、イベント等多岐に亘り手がけた。
昭和55年7月
港区六本木で各宮家など御用達の(株)和泉家の約60点にも及ぶ菓子箱のレギュラー受注を機に紙器事業部を設ける。
昭和59年3月
山本ビル1階に(株)東京イデアフォースの先代社長赤木正美と折半出資による新橋印刷センターを設け、両社の印刷物の他、同業各社の受注生産活動を積極的に行った。
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昭和61年5月
九州松下の組版システム一式(4基)を導入し財協印刷(株)にオペレーターと共に派遣。
昭和62年1月
財協印刷(株)改め図書出版印刷(株)代表取締役に就任。
平成8年7月
港区新橋4-3-7 437ビルに事業所移転を機に、全てのパソコンを業務用マックに統一。
平成11年2月
(株)和泉家の倒産に伴い紙器部門から撤退。
平成15年3月
高齢者の福祉活動に寄与するため非営利活動法人高齢社会フォーラムを設立。
平成16年8月
通称マッカーサー道路拡張のため437ビル事業所を閉鎖し、港区新橋5-20-1(株)東京イデアフォース内に、将来同社との営業統合をめざし移転。
平成17年12月
(株)東京イデアフォースの事業所拡張に伴い現在地に移転。
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